2009年10月29日

混浴周環の始まり

日本人独自の入浴習慣で、不特定多数の人が男女の隔たりなく同じ湯船に入浴すること。家族風呂などを貸し切り特定多数で入浴する行為、家族や夫婦(カップル)で入浴することは本来混浴とは呼ばない。

西洋の混浴は運動温熱療法施設として水着着用が義務化されているスパと、温浴療養施設として裸での入浴が義務化されているサウナとに分かれている。一つの施設内に双方が存在することもあるので利用の際は注意したい。
古くは、大きな湯船の共同浴場は一般的でなく、大きな湯船といえば天然の温泉が溜まってできた野湯であった。そのため、男湯・女湯という概念はなく、混浴は、自然発生的にできたものである。下帯(褌)や腰巻を着用したうえでの入浴という習慣も存在しており、裸の入浴は江戸時代以降という説もある。

時代が下ると、温泉地では、泉源から湯船まで温泉を引いた今で言う共同浴場もできてきたが、まだ、男湯と女湯の区別もなかった。

江戸時代に入ると、大都市で銭湯が大衆化した。銭湯に垢すりや髪すきのサービスを湯女(ゆな)にやらせる湯女風呂などが増加した。松平定信が、1791年、江戸の銭湯での男女混浴を禁止する男女混浴禁止令を出すなど、風紀の取り締まりの対象にもなった。これは混浴そのものよりも、湯屋における売買春などを取り締まるものであったと言われる。当時の湯屋は二階に待合所のような場所があって将棋盤などが置いてあり社交場となっていただけでなく、湯女などによる売春や賭博などの格好の場となっていたためである。

しかし依然として混浴が主流であったため、明治時代に入ると、男女混浴は風紀を乱す元、前時代的と見られる元として原則禁止となり、都市部では取締りが強化される。 それでもなお、地方の温泉地などの多くでは混浴が当たり前という時代が昭和30年代まで続く。

高度成長期以後、都市部の住民が地方の温泉地を訪れる機会が増え、混浴という風習を知らない(受け入れない)観光客が増加したため、多くの旅館やホテルがそのニーズに応えるべく、浴場の増改築(男女別化)など施設の近代化・巨大化に取り組んだ。 その結果として昭和40年代以降、混浴は減少の一途をたどることとなった。 浴場や入浴施設の許認可権限をもつ保健所が、新規の混浴施設建設に対して頑なな対応をとり続けることも、減少に拍車をかける一因となっている。

『ウィキペディア(Wikipedia)』引用

日本では江戸時代から始まるんですね。風呂女の売春がとても多かったようです。

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